20220608 マッチ売りだった少女
警察官という身分にありながら、背徳的な欲望を抱えた男がある遊郭を訪れた。
絶大な権力を裏に纏い国家権力からも匿われ、身分を隠して少女とまぐわえる桃源郷があるのだとか。
果たして男の願いは叶い、あっという間に精根尽き果て、支払いをする段になった。
数ヶ月分の給料が皿に乗ると、「確かに」と皿が引き払われ、代わりにレトロなマッチ箱がカウンターに乗った。なんだろうかと男は首をかしげる。
そういえば聞いたことがある。この遊郭には奇妙な風習があると。しかし、一体どうしてだろう。男は興味本位で尋ねた。
受付の女は事務的に答えた。皆さん同じことを聞かれます、と。つらつらと女は話し始める。
その昔、雪の降る中マッチを売る少女がいた。もう家に金はない。このマッチが売れなければ死んでしまう。しかしマッチは一向に売れなかった。
少女は朦朧としながら叫んだ。いっそ私ごと買ってくださいと。奴隷にでもしてくれて構わないと。だけど奴隷なんてのはファンタジーの存在で、すぐに見知らぬ男に一晩を買われることになる。地面に伏せる少女の目からは涙すら流れなかった。ただ、その手には札束が握られていた。
少女はその金で食料を買った。衣服を買った。住処を手に入れた。それだけで金が無くなった。足りない。まだ足りない。私が求める幸せな生活には、まだ。
「マッチは要りませんか」
その挨拶はすぐに身売りの符丁になった。
少女は一夜を過ごした後、律儀にマッチを渡し続けた。これはマッチを売るためだと、自分に言い聞かせるかのように。
少女の金への執着は、尽きることがなかった。
何度でも何度でも、少女は寒空の下で身を売った。
「……それで金持ちになった少女は身を立てて権力を手に入れて、今じゃこの遊郭があるってわけでさ。めでたしめでたし。創業者の名残で今でも客にはマッチを渡してるのさ」
「はあ。でも、少し話が出来すぎていませんか。そんな権力、そうそう手に入るものかな」
「噂によるとその少女が嫁いだのは警視総監殿らしくてね」
男の背筋が凍りついた。
「まだご存命だよ。陰口なんか口が裂けても言えちゃしねえ。だけどな、警視総監殿がどうあれウチらは何もやましいことなんかしちゃいないんだよ、だって──」
女は男の手に何かを握りこませると、不気味にニタリと笑って言った。
「ここではただマッチが売られているだけ。そうだろう?」