2020年06月05日 「元隻眼」の口裂け女

「目ェ、目ェ、足リ無いのォ、右ィ、左ィ、どッチが良ィいイイ……」

 私がこれから訪れる町には、隻眼の妖怪が出るという。

 組織が事前に噂を調べた限りでは、ターゲットは口裂け女の変種。この辺りの夜道に現れ、出会ったらきちんと対応しないと目をどちらか取られてしまうのだという。追い払うのにポマードは必要ないが、代わりに懐中電灯が要る。光がとても苦手で、それで夜道にしか出ないのだ。懐中電灯が無い時は街灯に向かって走れば良い、というわけにはちょっといかないのが厄介なところだ。遭遇した瞬間に金縛りを受けて、そのまま片目とはバイバイになる。幸いにも、と言って良いのかは分からないが、眼球を直接抉り出されても痛みは感じないらしい。

 取られた目がその後どうなるかというと、女が自分の眼窩に嵌め込む。「目ガ足リる、目ガ足リる」と暫くは喜ぶのだが、10分もしない内に嵌めた目が瘴気で腐り落ちてまた隻眼に戻ってしまう。目を取られた奴がその10分の間に光のある場所まで逃げなかったら、まぁ両目とバイバイってことになる。

 その隻眼女を成仏させるために派遣されたのが私ってわけだ。

 

 「着きましたけど、本当にお一人で大丈夫なんですか?」

 私が車から降りようとすると、護送車の運転手が言う。

 「うん、平気。慣れてるから」

 「いや、それでも……」

 運転手は何か歯切れの悪い感じで言う。仕方のないことだろう。

 「何、私の実力が不安?」

 「いえ、そういうわけではないんですが……その……」

 「あー、いーのいーの、そういうのは。確かに私はまだ16歳だけど、待ち合わせの駐車場にだって、初めての場所でも一人できちんと来れたでしょ?だから何の心配も要らないわ」

 「承知しました。失礼をお許しください」

 「だからそういうので畏まらないでって。それじゃあ、行ってくるねー」 

 私がそう言うとドアがバタンと閉まって、車が去っていく音がした。

 

 事前に地図はきちんと頭に入れてきた。私は何の問題もなくホテルに着いてチェックイン。初めての土地だって困らない。そして深夜、外に出た。

 田んぼが多くて街灯も無い、いかにも「出そう」な場所も事前に調べてある。ターゲットと遭遇するのにあまり時間はかからなかった。

 ずる、ずる、ずる、と、長い一本道の遠くから、何かが這い寄る音がした。それはこちらに向かって近づいてきて、すぐそこで止まった。

 

  「目ェ、目ェ、足リ無いのォ、右ィ、左ィ、どッチが良ィいイイ……」

 目の前にいるのがターゲットである事を確認して、私は言った。

 「どっちでも」

 ネチャアと音がして、そいつは嬉しそうに喋り始めた。

 「変ワった奴ダなァ、オ前……。ソれとも、もウ諦メてルノか?」

 言われて体を動かそうとしてみたが、動かない。自由になるのは口だけだ。なるほど、これが金縛りという奴か。寝てる間に起こるやつじゃなく「本物」を食らうのは流石に初めてだが、随分と違った感覚がするものだ。動かそうとしても動かせないのではなく、全身をコンクリートで埋められて動かす余地すらないような感じだ。

 ずる、ずる、ずる。音が私に近づいてきて、止まる。

 「ソれジゃあ、遠慮ナく、イたダキまァす」

 私の左目にぬちゅると何かが入る音がした。眼窩に手を突っ込まれているはずなのだが、確かに痛みはない。とても奇妙な感覚だった。

 ちゅぽっと音がして私の左目が抜き去られた。

 「ヒ、ひ、ヒひひヒひ……」

  女の笑い声が聞こえる。

 「左目、左目、もーラった。左目、左目、もーラった。コれデ目が足リる、目が足リる、目が足リ、足リ……、ア? ……ア、アアア、ア、アァあア?」

 直接持たれたら流石に違和感に気付かれちゃうか。まぁ、もう遅いんだけどね。

 「オ前ぇ!!! コれ、コれ、目ジゃ、目ジゃ無イィぃぃ!!! オかしイ、オかしイ、ナんで、コれ、オ前ぇ!!!」

 女はひどく慌てた様子で悲鳴を挙げる。

 「オ前、オ前ドっちでモ良いって言っタ!!! 私ガドっち取ルのカ分かラナかっタはズ、オ前!!! ソれナノにコれ、コれナんで本物ノ目ジゃ無ィいイイいィィ!!!」

 「ううん、それは確かに目だよ。義眼だけど。ついでに言うと、両目とも。目が見えないんだ、私」

 「嘘ダ、嘘ダ、オ前、オ前こノあタリの人間ジゃナい、ニおイで分カる、オ前のこトズっト見テタのに、オ前、普通ニ歩いテた、曲がリ角ダって普通ニ曲ガっタ、目ガ見エなイなら、ソンなこトアるワけナい」

 そりゃあ、そうだ。事前に説明を受けた運転手だって心配したくらいだ。成仏する前に少しは説明してやろう。

 「私は生まれつき目が見えないの。後天的に目が見えなくなった人間は大変だけれど、先天的ならあまり困らない。詳しいことは分からないんだけど、赤ちゃんが成長する過程で、脳の聴覚とかの部位が、本来視覚に使われるはずだった部位を食べちゃうんだって。それで耳とか位置の感覚とか、そういうのが異常に発達してる。自分の足音の反響で壁までの距離や周りの地形だって分かるし、お仕事だから一応覚えてきたけど、本当は地図が無くっても困らない……って、こんな事言って分かるのかな」

 「嘘ダ、嘘ダ、嘘ダぁアア……」

 「それよりあなた、やらなきゃいけないことがあるでしょう?怪異には怪異の『ルール』がある。貴女は私の目を取った。ならきちんとその目を自分に嵌めて、腐食するまでつけてないとね」

 「イ、嫌、嫌、嫌ダ、ァ、ア、ァァアアァアア」

 自分で自分の腕を掴む音。衣服の擦れる音。髪をふりみだす音。女が衝動に抗おうと必死に抵抗しているのが、音で「視える」。

 そして色んな音の最後に、ただ、ちゅぽんと音がした。

 「ア、ア、腐レ、腐レ、速ク腐レえェ……」

 「光に弱いんでしょう、貴女。懐中電灯程度の光にも怯えている。それなのに軍事用のフラッシュバンを改造したものなんて、内側から食らったらどうなるのかしらね」

 「アぁ、アぁ、ヤめロォオオ……」

 「さようなら」

 私が起爆スイッチを押すと、目の前でポンと小型の閃光弾が弾けた。ビチャビチャと何かが飛び散った音が聞こえて、そして何も聞こえなくなった。

 「あんたら怪異の類は力を過信しすぎるけど、あんまり人間を舐めないことね」

  

 私はポケットからスマートフォンを取り出し、慣れた手付きで操作する。上司とビデオ通話を始めて、始末完了かどうかの確認だ。私は女のいた方向にスマートフォンを向ける。

 「ご苦労だった」

 上司が私のことを労う。

 「それより、どんな感じですか。地面に倒れた音はしませんでしたけど、全部吹っ飛んじゃってます?」

 「いや、残ってるな。地面に棒立ちで、首の辺りから上が全部吹き飛んでる。いずれにしても、無害化完了だろう。よくやった。後の処理は近くの班がやるから少し待っていてくれ」

 「分かりました」

 「しかしなんていうか、すまなかった」

 「何がですか?」

 「いや、だからその……君の障害を、利用したことだよ。両目が見えない人間なんて組織にも多くない。君にしか出来ない仕事だった。それでも、本当にすまない」

 「そんなことですか。気にしなくて良いんですよ。むしろこの生まれを役に立てられて私が嬉しいくらいですから」

 「……そうか」

 「そういうものです」

 「それじゃあ、もうすぐそっちに……うん?」

 「どうしました?」

 上司は答えなかった。不気味な沈黙が、あたりを支配した。

 「……逃げろ」

 「えっ?」

 上司の声は震えていた。

 「逃げろ……逃げろ!!! 今すぐに逃げろ。ターゲットの首が蠢いている」

 程なくして、グジュグジュと何かが動く音が私にも聞こえてきた。

 「ターゲットの首から亀裂が、亀裂が見える……あれは、なんてことだ、あれは、口だ、巨大な裂けた口だ!!! 作戦は失敗だ、今すぐそこから逃げるんだ!!!」

 

 私は急いでその場を走り去ろうとしたが、ピクリとも体は動かなかった。

 

 まるで、コンクリートで体を埋められたようだった。

 

 グパァ、と、大きな何かが目の前で開く音がした。

 

 「首ィ、首ィ、足リ無いのォオオォ……。右モ、左モ、関係無ィいイイ……」

 

 あの女の声がした。

 ずる、ずる、ずる、と這い寄ってきて、私は肩を掴まれた。

 

 「あンタら人間ノ類は知恵ヲ過信しスギルケど、あンマり怪異を舐メなイコトねェエエエ……」

 

 何かがグパァと大きく開く音がもう一度聞こえて、そして、それが私が人生で聞いた最後の音になった。